掲載日:2026年7月20日(紙面発行日)※この記事は「スマイラー(2026年7月号)」からの転載です。本文中の「今年」「去年」などの時制表現や、月商をはじめとする店舗情報はすべて発行当時(取材時)のものとなります。
錦華楼(きんかろう)は、品川区の戸越銀座商店街に店を構える、創業95年の老舗町中華だ。3代目の野牧満一(のまきみつかず)さんは76才となった今もひとりで厨房に立ち、妻と二人で切り盛りしている。近年は昔ながらの常連客が高齢化する一方で、そのノスタルジックな空気感に魅かれた若い世代の来店が増え、結婚式の前撮りに使われることもある。持ち家店舗による低固定費の運営で、原価高騰の中でも価格と量を維持できてきた。しかし、経営は成り立っていても、後継者はいない。「町中華」は誰が残していくのか。
目次
町と一緒に歩んできた店

同店は1931年(昭和6年)、野牧さんの祖父が開業した。野牧さんは3代目で現在76才。今も夫婦ツーオペで16席の店を運営する。厨房で調理を始めたのは17才頃からだ。
「店を手伝い始めたのは小学校の時からで、玉ねぎや人参の皮むきだとかずっとやらされていたね」
戸越銀座商店街は日本初の「銀座」と名がつく商店街だ。関東大震災(1923年)後、銀座の煉瓦(れんが)を譲り受けて道路を舗装したことに由来する。
「うちのおじいさん(の代の人々)が、東京駅が大空襲でなくなったときに、東京駅の煉瓦をリヤカーに積んで、一カ月かけて運んできたんですよ。昭和6年(1931年)、ここに来た時はうちの店1軒しかなかった。で、道路が田んぼ道であまりにも汚いからこの煉瓦を敷いて歩きやすくしたんです」
当時、戸越は「とごえ」と呼ばれていた。これは「江戸越えの村」という呼称に由来する。
店内には名古屋に残る支店の住所が手書きで貼り出されている。野牧さんの父の代に、親戚たちがここで修業し、のれん分けして独立した店だ。以前は東京、長野、北海道にもあったという。
「みんなここから出た人たちです。店持ちたいっていうんでね」
現在残っているのは、この本店と名古屋の2店舗だけだ。
“昭和”を探しにやって来る若者たち

最近の客層は若い世代と常連客が六対四ぐらいの比率だ。
「前はさ、地元の年配の方がほとんどだったけどね、今は30代、40代の若い夫婦とか恋人同士が増えてきたね」
一方で、店内で“結婚式の前撮り”を希望するカップルが増えてきているとも話す。
「この間もさ、結婚式場で写真撮ると高いからここを貸してくれって言ってきて、なんでここって聞いたら、昔の古いね、こういう赤いテーブルを使った店とか、手書きで書いたメニューだとかね、そういうところで撮りたいんだって。看板なんかも撮ってさ、こんな汚い店撮ってどうすんの、って(笑)」
昨年以降、5組ほど撮影の依頼を受けている。
炒飯とオムライスは昔からの人気メニューだ。
「私の好きなメニューは、やっぱりラーメンだね。普通のラーメンが一番よく出るけど、うちのは全部さっぱりしてるんです。よく中華は重たいって言うけど、油をね、安いラードとか使っていると重たくなるんですよ。うちみたいに純粋な油を使っていれば重たくないんです」
壁一面に貼られた手書きのメニューは相当な数だが、「これでも半分減らした」そうだ。

名物「餃子コロッケ」は、今から20年ほど前に商店街活性化の取り組みから生まれた。
「あれは私が考えたんです。お肉屋さんがコロッケ売ってるじゃないですか。その食べ歩きがあったから、理事長さんからうちでもやってくれって。じゃあ餃子コロッケでもやろうかってちょっと言ったら『じゃあそれで決定。1個100円で宣伝します』って、まだ試作もしてないのに決まって作る羽目になっちゃった(苦笑)」
縮小し、無理しない営業へ。

同店はかつて2階も宴会場として30人の宴会客を受け入れ、その頃も野牧さんひとりで厨房を回していたという。
しかし、1991年、出前配達中に交通事故に遭い、営業停止を余儀なくされる。野牧さんが41才の頃だ。
「4、5カ月入院して、もう仕事は無理だって言われて…。子どもはふたりいて、2才と1才だったね」
腰に後遺症を残しながらも復帰し、営業を再開。その頃から1階の店舗だけの運営にしたと話す。出前は今も続けているが、現在は階段昇降などの身体負担を避け、一軒家などに限定している。
昼の客単価は約1000円で2回転ほどする。夜は家族連れが多く、酒の注文が増えるため、単価は2000円から2300円ほど。回転は1回だ。
原価高騰については、地元客が多いため、おいそれと値上げはできないと苦笑いする。量を減らすといった工夫も特にしていない。
「同じ量で出してるね。やっぱり“損をして得取れ”って感じでさ」
しかし赤字経営にはなっていない。
「まぁ借りてる店舗は苦しいらしいね。そういう意味では、うちは自分ちだから家賃は出ないし(妻とツーオペのため)人件費も出ない。人使ってやってたら大変」
継承できない町中華

野牧さんは会社員や公務員として勤める2人の子どもがいるが、店は自分の代で終わりだと少し寂しそうに話す。
「私ができる限りやって、あとはもう子ども達は継がないですね。上のお兄ちゃんは結婚して子供もいて、ITの会社で部長やってるし。だからもう後継ぐ人はいない。姪っ子も甥っ子も近くにいるけどね、みんなやらないでしょ、たぶん」
「でも地元の皆さんがさ、『みっちゃん頑張って。私たちが生きてる間まで仕事して店やっててよ』って。80、90才のおばあさんたちが生きてる間って、俺どうなるんだよって(笑)。こっちの方が先に動けなくなりそうで(苦笑)」
店は成り立っている。それでも次世代に続く後継者はいない。一方で、昭和を知らない若者たちは、その空気感を求めて店にやって来る。“町中華”は単なる飲食店ではなく、町の人々の日常に溶け込んできた存在だ。こうした店を今後、誰が残していくのだろうか。
(取材協力)
店舗名:錦華楼
住所:〒142-0042 東京都品川区豊町1-7-4
店主:野牧満一
定休日:火曜
(店舗データ)
席数:16席
坪数:約7坪
客単価:約1000円(昼営業)、2000円~2300円(夜営業)
取材・文:高山浩子
株式会社テンポスホールディングス 広報課所属。月刊飲食業界誌「スマイラー」の特集記事、飲食店レポートの編集・取材・執筆を主に担当。店舗運営のヒントが隠れた「面白い読み物」を届けたく、日々励んでいます。食べ盛り男子2人の母。趣味はこだわりカレー店巡り。





